僕の前に道はない。

なまけてたっていいじゃない。

ただの戯言である。

犬が苦手だったが小型犬なら遊べるようになった話

 

犬が苦手だった。

今では小型犬ならわりかし触れ合えるようになったが、数年前まではホントのホントに怖かった。

威嚇してきて噛むじゃん。

痛いじゃん。

怖い。

 

 

発端

 

小さい頃、青森のおばあちゃんちの庭で一人、ヒーローごっこして遊んでたんだ。

首には風呂敷を縛ってマントのようにして。

手には広告を巻いて作った棒(剣に見立てているもの)を持っていたと思う。

4歳くらいのころだ。

 

勇敢な気分の僕はおばあちゃんちの裏の砂利道に出た。

勇ましく進んでいくとなんとそこには

犬。

 

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柴犬のような感じの中型犬くらいだったと思う。

首輪はしていたかもしれないが、鎖はされてなく放されていた。

いきなりの魔物の出現に一気に怯む僕。

ドラクエで言えば橋を渡ったら急に知らないモンスターが出現するみたいなもんである。

今のレベルでは到底歯が立たない。

 

モンスター(犬)は様子をうかがっている。

僕は逃げ出した!!

しかしモンスター(犬)は追いかけてきた!!

僕は逃げられなかった!!

…みたいな感じwww

 

とにかく懸命に走った。

全速力。

そして転ぶ!!!!

砂利道で頭からすっ転ぶんだけど、もう必死なもんだから、すぐに立ち上がって大泣きしながらおばあちゃんちの縁側にいたお母さんのとこに避難していった。

 

庭にまで犬は追いかけてこなかったようで、犬の恐怖からは逃れられたんだけど、

なんと頭から流血してたんだよね。

これは幼い僕には大変ショックだった。

とりあえず水道で洗い流して、消毒して、ガーゼか何かを貼ってもらったと思う。

 

夜、寝るときには怪我した方の頭を上にするように気を使って寝た。

 

 

トラウマ

 

この一件で「犬は襲ってくるもの」というのが刷り込まれてしまった。

それから25年くらい犬の恐怖に怯える人生を歩んだ。

「犬ってかわいいよねー」とか言う女子の気が知れなかった。

 

数年前、トリマーをしている人と友人になる機会があった。

その人は小型犬を3匹飼っていて、家に遊びに行ったときめっちゃ寄ってきた。

最初はただただ硬直していた。

だが大人になった僕は「犬は首を撫でてやると喜ぶ」とか「手のひらを舐めさせてやると心を開いているのが伝わる」とかいう情報を知っていた。

3匹が寄ってきたときに愚直に実践してみると、不思議かな、特に噛まれるようなこともない。

自分の体も大きくなっていたので、自分自身が逃げるってこともないのだが、噛んで襲われる恐怖は持ち合わせていた。

 

手のひらを舐めさせ、首を撫でてやり、ときに抱っこをしてやることくらいしかできなかったが犬と戯れることができた。

「犬ってかわいいよねー」という女子の言うことが少し理解できた気がした日であった。

 

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今でも大きめの、見た目もいかつい犬は怖い。

近所を歩いていて急に吠えまくってくる犬も怖い。

苦手意識は完全には拭いきれていないとは思う。

 

けど小型犬は確かにかわいくて大丈夫だ。

犬が苦手だという人って案外にいると思う。

とにかく最初は手のひらを舐めさせ、首を下から撫でてやる。

これだけで心を通わせる一歩を踏み出すことができるので、お試しあれ。

 

なお、生き物を飼うということは大変なことである。

犬なら散歩にも行かないといけない。

そんな面倒なことを習慣にはできない。

ご飯の用意や糞尿の始末もめんどくさそうだ。

そういう面の責任を全うできない人は安直に生き物を飼おうとしてはいけないし、僕も面倒事は嫌いな質なので今後もきっと犬は飼わないのである。

 

 

 

『ぼくは愛を証明しようと思う。』を読んで実践してみようとして6人の女の子の連絡先を得た話

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出会い厨おじさんと化している僕です。 どうも。

 

ぼくは愛を証明しようと思う。』(以下『ぼく愛』)という小説をご存知だろうか。

これは「恋愛工学」といった恋愛理論を駆使して非モテの主人公・渡辺がモテモテになっていく話だ。

マンガ版も連載中で、画も非常にきれいなので是非読んでみてほしい。

 

 

「恋愛工学」では街コン→ストナン(ストリートナンパ)→クラコン(クラブナンパ)で大勢の女の子の連絡先をゲットしていき、そこからデートできる子と会ってセックスに持ち込むという流れを取っている。

主人公・渡辺は1日に50人の女の子の連絡先をゲットし、その中から3人の女の子とデートし、セックスしたのは1人であった。

 

まったく影響されやすい僕は「オレもやってみよう!」と思い立つのである。

今年の1月に彼女と別れ、2月から6月にかけて職場の女の子に『LOVE理論』を参考にアプローチしてみたが振られ。

傷心の真っ只中で出会ったのが『ぼく愛』だ。

可愛い彼女がほしい。

 

 

非モテコミットと執着の分散理論

 

「恋愛工学」では非モテの良くないところとして

 

欲求不満の男が ちょっと優しくしてくれた女を簡単に好きになり

もうこの女しかいないと思いつめて

その女に好かれようと必死にアプローチすること

 

と説いている。

これはまさしく2月から6月の僕である。

そして、『LOVE理論』における「執着の分散理論」と同様の内容である。

一人の女に執着すると心に余裕がなくなってテンパって嫌われるのである。

男の片思いにおいて「一途」は最悪のパターンになると言えそうだ。

 

『LOVE理論』では同時に5人以上アプローチする相手がいたほうが良いと説いていた。

一応断っておくが、2月から6月にうまくいかなかったからと言って僕は『LOVE理論』は捨てていないのである。

水野敬也さんは尊敬している。

「恋愛工学」も『LOVE理論』も参考にすべきとこは参考にして相乗効果を図るべきだろう。

 

 

ということで街コンに参加してきた

 

とにかく出会わなければ始まらないわけで。

母数が必要だ。

 

街コンなんてこれまでの生涯で行ったことなかったが、ポータルサイトから検索してみて都内のに申し込んでみた。

小学校からの友達のユウヤ(仮)も誘って初参加を決め込んだ。

 

街コンってその街のお店を周りながら異性の参加者とコミュニケーションを取っていく、そんな感じだと思っていたのですが違いました。

パーティールームのような会場で時間を区切りながら異性グループと会話して、最後に「あの人が良かった」みたいなカードを書いてマッチングしたら一緒に会場を出る。

そんな形式のイベントでした。

参加人数も男女合わせて30人程度と…まあ毎週行われているのでそんなもんか。

 

参加費も一人7500円と強気なお値段。

でも可愛い子も参加してるんですねー、何人か。

自己紹介タイムやらフリートークタイムやらをこなし、マッチングの時間。

えーっと、第三希望くらいの女の子と無事にマッチングした。

 

会場を出て連絡先交換…。

って、これじゃあ何人もの女の子の連絡先ゲットできないじゃん!

恋愛工学よ!

 

って感じだった。

まあ、一緒に来たユウヤくん(仮)はこの日はマッチング不成立で、会場を出たあとに別れてしまったんだが。

一応一緒になった女の子とお茶をして、帰った。

 

ちなみに僕の服装はユニクロのリネンシャツ(紺)とグラミチのベージュのNNパンツ、new balanceのグレーのスニーカー。

あと銀色の腕時計と、オロビアンコのバッグ。

髪型もこざっぱりと清潔感のあるようにして。

変な格好せずにベーシックなシャツスタイルがウケると思う。

 

 

街コンは会話が簡単だから良い

 

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「恋愛工学」を実行していきたいのだが、ストナンはどうにも無理。

ちょっとね、ハードルが高すぎる。

酔っているときに勢いで話しかけるのは頑張ればできるかもしれないが、なかなか。

クラナンも、クラブに行くのがめんどくさい。

うるさいし、夜遅いし。

 

とは言え、本当に可愛い子と連絡先交換したいというのならやっぱりストナンやクラナンがいいかなと。

鋼の心が必要だが。(クラナンのほうが声はかけやすそう)

 

街コンは(『ぼく愛』の中でも書かれていますが)めっちゃ可愛い子はなかなか来ない。

けど、相手も会話するのを目的で来てるので普通に会話が成り立つ。簡単。

そこでプロフィールカードを見ながら膨らませられそうな話題で会話をすればある程度良い印象で仲良くなれる。

※自分の話をするより相手のことに興味をもつのがセオリー。

 

僕が意識したのはイエスセット(YESで答えられる質問を多くする)とバックトラック(簡単に言うとオウム返し)。

この日は使わなかったがLOVE理論の「大変じゃない?理論」も良いと思う。

 

 

2回目の街コン参加から一人参加に

 

なんとなく空気感を学んだ僕は翌週土曜日、一人で参加することに。

場所は埼玉県内某所。

服装は前回と一緒。

参加費5000円。

 

マッチング成立。連絡先GET。

 

その翌日の日曜日。

都内某所でダブルヘッダー

服装は無印良品の白シャツにユニクロのジーンズ、アディダスのスタンスミス(白)。

バッグはグレゴリーのデイパックと、ややカジュアルにしてみた。

時計は変わらずに銀のやつ。(アクセサリー的なワンポイント感も演出させている)

ちょっと手抜かりだったなというのが、あごひげを剃ってない点と、もみあげが微妙に伸び散らかっている点(笑)

 

お昼くらいの街コン。

参加費3000円。

マッチング成立。連絡先GET。

 

午後の街コン。

参加費3000円。 

参加人数が結構多くて男女合わせて40人近く。

この回、初めてのマッチング不成立。

これはちょっと悔しかったが、会の途中で3人からの連絡先をゲットするのに成功した。

マッチングが目的じゃない。

連絡先をゲットするのが目的なのだ。

 

 

通算成績

かけた費用 18500円

参加した街コン数 4

得た連絡先 6人 

コスパなど知らん)

 

 

ここまでの感想

 

やっぱり質(可愛さ)を考えると物足りない。

年齢も比較的高めになってくるし。(若くても27歳くらい)

初めて参加したときにはめっちゃ好みの子がいたので味をしめたけど、それ以降はなかなかいない。

そして1日にダブルヘッダーやるのは結構疲れる。

いや、しかしこれは乗り越えないといけない壁だ。

執着の分散理論を確立させて妥協のない彼女を作るんだ。

 

いや、それにしても疲れたーー。

 

 

セックスまでの道程

 

結局母数がそんなに多くないのだが、ここから次に繋げていかねばならない。

もうすでに連絡が返ってこない子もいるが、それはそれで割り切って納得するしかない。

『ぼく愛』では1回目のデートが一番セックスできるのだと説いている。

食事をして、レストランを出たら手を繋いで(できればキスもして)、

「うちに寄ってDVDでも見ない? 明日返さないといけないんだ」って誘って、

部屋に入ったらキスして押し倒す。

(DVDは借りておくものの、ただの口実なので結局見ない)

 

ここで主人公・渡辺は一人暮らしなのでいいが、僕は実家ぐらし(しかも都心からだいぶ離れた埼玉県某市)だ。

「DVD見にこない?」メソッドは使えない。

「DVDを見る」という口実が女の子には重要なのだ。

ストレートに誘うだけではいけない。

口実を与えてやるのが男ってものなのだ。

仕方なしに誘いに乗らなくてはいけないのである。

 

ということで実家ぐらしの身としては分が悪い。

かと言ってそのために都内に部屋を借りるほどの経済的余裕もない。

とすればやはりホテル。

口実のある誘い方を考えておかねばならない。

 

 

連絡が途絶えるのは仕方ない

 

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そうなったらまた調達に行けばいいのである。

けどやっぱり街コンはイマイチだろうか。

ストナンに移行したいが、またユウヤを誘ってみるか…。

(ユウヤは不定休だから合わせるのも難しいんだけどな)

ナイトプールに行きたいって言ってたから、そのへんで。

 

 

注意しておくべきところ

 

街コンに行ったらたいてい「どんなお仕事されてるんですか」って話になる。

僕なんかは派遣に毛が生えた程度の社員なので、この手の話題に困る。

ビシっと言えないわけだ。

勤続年数なんかは適当に長めに行っておくけど、やはりそこでたじろぐ様子とか空気感が相手に伝わってしまうのだと思う。

そのへんの話になったときにどう答えるか、ズバッと言えない人は予め考えておいたほうが良いだろう。

 

 

とりあえず遊べる子が2〜3人できればゴール

 

都内に引っ越してでも来ない限り平日は遊ぶの無理なので、土日の相手ができればそれでゴールとなる。

なので、いても2〜3人だ。

今いる女の子らと連絡を取っていくが、きっと長続きはしないだろう。

食いつきがいまいちなので。

まだまだ常時補充していかないといけない。

 

平日は会社に行かないといけないが、仕事関係の人を相手に恋愛工学をやると5000%面倒なことになるのでそこは避けたい。

 

 

また活動があったら報告する。 

 

 

平日の大半をつまらない仕事で消耗しないために、本を読んで持論を発表して打破していけ

 

個人的な好き嫌いで言えばイケハヤ氏はそんなに好きじゃない。

特段嫌いってわけでもないんだけど。

基本的に何かを否定する人というのはあまり好きになれない。

「否定する人を否定する」という矛盾は承知の上である。

 

そんなイケハヤ氏のブログだが毎日お風呂でチェックするのが日課になっている。

イケハヤ氏のブログとAmazonKindle日替わりセールは必ず確認する。

最近こんな記事があった。

 

www.ikedahayato.com

 

卓越した記事タイトルの付け方は流石である。

 

簡単に言えば「日々の時間の大半を誰かの為に使ってたら時代の波を捕まえられないよ」って話。

うーん、なるほど。

ていうか(上の記事の趣旨から少し逸れるけど)本当に毎日毎日意味のない業務に時間を費やすのは無駄でしかない。

自分のやっている仕事にしっかりと意義を感じているのならそれはそれで良いと思うわけだ。

平日の大半をその仕事に費やしていって結構だし、むしろ費やすべきであろう。

問題は「こんな仕事してて意味あんの?」と疑問を抱えている場合だ。

 

お客さんやクライアントに喜んでもらうことが仕事の目的であろう。

それが社会のためになっているのかというのは重要なファクターであると思う。

ただ会社の利益のためだけに行う業務だとか、具体的なプロジェクトも固まらないままとりあえず行う研修だとかは本当に意味がない。

そんな会社、さっさとなくなってしまえばいい。

 

 

上の記事の中でこんな言葉がありました。

 

あなたがまず本を読んで、勉強会を開いて、人前で持論を発表しましょう

 

 

僕は読書推進派でもあるので、やはり「本を読め」という主張は共感します。

勉強会を開くのはまだイメージができませんが(それなりに実績を必要とするでしょうし)、でも持論を発表していくのはこういうブログでも展開できるのでね。

イケハヤ氏は「不要なものを切り捨て、自分の時間を取り戻せ」とも。

ミニマリズムやちきりん氏の考え方にも通ずるところがありそうです。

 

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

 

 

今年度いっぱいで今の仕事は辞める予定です。

「今すぐやめればいいのに」って言われるかもしれませんが、入社したときに自分で掲げたのがそれですからね。

 

平日の時間の大半を取り戻したいのは、ただ時代の波を捕まえたいからではありません。

自分で「今日何をするか」を決められるようにしたいからです。

他人の利益(会社のオーナーとか社長とか)のためにあくせく働く人生も悪くはないでしょうが、他人に決められてしまう人生は嫌です。

 

平日の大半をつまらない仕事で消耗している皆さん。

本を読んで持論を展開して、打破していきましょう。

 

広告を入れないことで精神の安定した記事を書く

 

アフィリエイトに魅力を感じてブログやサイト運営を始めてみる人は多いと思う。

僕だってそのクチだ。

グーグルアドセンスAmazonアソシエイトが僕のブログ収入の軸である。

 

ブログを始めてみるとなかなかにうまくいかないのである。

お金になる記事を書きたいと思うのだが、自分のもっている知識や経験でどんな記事を書けばいいのかわからない。

日々の日記のような記事は書きやすいが、お金にはならない。

収益を生みたいと思うから無理矢理にでも、Amazonで買ったモノや本のレビューを書いてみたりする。

結果書いていて楽しくないし、あんまり面白くない記事が出来上がってしまう。

 

というのが僕のパターンであった。

そこで発送の転換である。

「広告を貼るのをやめてみればよくね?」

つまり、収益を生み出そうとして無理矢理に書く記事を捨てるというものだ。

 

コレは相当にストレスが軽減されそうな発想である(自画自賛)。

日記的な記事でもいいじゃないか。

それでもアクセスアップを目的に試行錯誤してみればいい。

はてなならProにしてそもそもの広告を消してみてもいいかもしれない。

広告がないほうが読者さんは見やすいだろうから。

 

別にアフィリエイト記事を書いてはいけないわけではない。

Amazonで買ったものを紹介してみても全然いい。

ただ「気が乗っていないのに書くのはやめる」っていう施策である。

無理矢理に書いた「○○ランキング」みたいなのも然り。

 

僕は複業推進派である。

みんなが豊かになっていったほうがいいと思うし、本業以外に収入源があったほうがリスクの分散化ができて精神衛生上も良いはずだ。

より良いコンテンツづくりは書いている側も楽しく書けていないと生み出されない。

筆が走る。

量は質に転換されていく。

 

「毎日書く」「たくさん書く」「記事の質は考えない」

広告も入れないでとにかく書きたいことを書こう!と思ってもそう簡単に毎日は書けないだろうけど。

でも二日おきでも一週間おきでも、とにかく書いていけば積み重なっていく。

積み重ねることが大事。

続けていくことが重要なのである。

 

稼ごうと思うとどうしても書けなくなる。

 

 

Kindle端末は最高に便利なんだけど紙の本の楽しさにはやっぱり勝てない

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Kindle端末を使っております。

Paperwhiteのマンガモデル。

結構いいです。気に入っております。

 

まずやっぱりたくさん本を持ち運べるとこですよね。

 

マンガとかビジネス書とか小説とかいろいろ混在しているんですけど、120冊位の本が入ってます。

これを持ち運んで、その時の気分で読みたい本をチョイスして読めるわけです。

本を持ち運ぶってレベルではないです。

本棚を持ち運んでいるってレベル。

気分で読む本を変えられるのは贅沢だなと思っています。

 

Kindle版の書籍は基本的に紙の本よりも安く買えます。

 

全部Amazonで買うのですが、月替りセールとか日替わりセールとか、何か特集的なセールとか、頻繁に行っています。

紙の本の半額程度で買えたりするのもよくあるし、場合によっては9割引きくらいで買えちゃったりします。

『インベスターZ』は1円〜15円くらいで買えました。めっちゃすごいセールでした。

たまにそういうこともあります。

 

あとね、本をネタに文章を書くときにすげーやりやすい。

 

紙の本って閉じちゃうから閉じないようなグッズを使ってパソコンやノートの横に置いたりするじゃないですか。

それがKindleはパタンと置けるわけですよ。

これはめっちゃスマート。

ページを捲るのもスマートですしね。

これで本からインスピレーションを受けてガンガン文章が書けるぜ!!!!

って気になります。

 

電車の中でもちょっとドヤれます。

 

多くの人がスマホや文庫本を読んでいるところを、自分はKindle端末で読書ですからね。近未来感!

親指だけで簡単に次のページにいけるのも楽で良い。

まぁ紙の文庫本で読んでいたほうが素朴で良いんですけどね、傍から見た感じ(^_^;)

 

ただiPadなんかのタブレット端末よりは目も疲れません。

 

これ結構実感できると思います。

Kindle端末からはブルーライトも発せられないですからね。

目に優しき。

 

表示の文字の大きさも変えられるのでご年配にも良さそうです。

 

引用も簡単になります。

 

Kindleでハイライトをつけた(マーキングした)ところってAmazonのこのページから参照できるんですよね。

Amazon Kindle: Welcome

 

コピーしてペーストしたら引用完了です。

でも個人的には自分の手で打ち込んだほうがその内容を理解しやすいと思うんですけどね。

自分で売って、内容を飲み込んだ上で文章を書く。

ただ、引用がくっっっそ簡単になって捗るのは間違いないんで、書評を書いていきたい人にはおすすめです。

 

本の内容が検索できるのも良いです。

 

例えば紙の本で読んで、マーキングしたところを引用に使いたいわーってなったときも、Kindleでその内容の一部をワード検索すればジャンプしてくれますからね。

紙の本とKindle二刀流も最強だと思います。

 

ただし、やっぱり本を読んでいて「楽しい」と感じるのは紙なんですよね。

 

本をめくる感触とか、残りページがだんだん少なくなってくる感触とか、栞を挟むのとか、そういうのも全部含めて読書の楽しさなんですよね。

ただ書いてある内容を読むだけが読書じゃないんです。

これは今後も電子書籍には再現できない部分ですよねー、きっと。

 

これからの未来を生きる子どもたちは逆に「電子書籍が普通」ってなるのかもしれませんね。

本をめくる感触に楽しさを見いだせない、そんな未来が来るかもしれません。

それは嫌じゃないし当たり前のことでしょう。

僕だって「毛筆で文字を書くのが楽しい」とは思いません。

毛筆文化から鉛筆文化、シャープペンシル文化に移行していく際も、そういう旧ツールに想いを馳せる人々もいたのでしょうから。

 

とは言え、紙の本がなくなるわけではないと明治大学教授の齋藤孝さんはおっしゃっていました。

時代の変化にも柔軟に対応していきながら、上手に活用していけるといいと思います。

 

 

 

僕が教員を目指す意義とは


32歳にして教員になろうとしているわけです。
教科は国語。
前にも書いたけど、25〜26歳くらいのときにも1年ちょいくらい臨時的任用でやってたこともあります。
そのときはメンタルやられてしまったんですがね。


今一度「何のために教員を目指すのか」を考えないと世のためになる先生になれないと思うんです。
そりゃ言うなれば安定した収入のためとか社会的立場のためとかもあるけれど。
でも教育に対してどう志を持っていくかってことも必要でしょう。


ただし、この志も年月を重ねていくのに考え方が変わることと思います。
昇華させていければいいですが。
とりあえず今は今の自分が考える志を論じていきたいと思います。
たとえ稚拙でも。

 

 

僕は大学を出た後、何もしてきませんでした。
役者を目指してみたり、コロコロと仕事(バイトや派遣)を変えてみたり、ネットワークビジネスにはまってみたり。
何かを達成させたこともないですし、長年積み重ねて経験を積んだこともありません。


一時期一人暮らしもしていましたが、今では実家に戻ってきて親のすねをかじりながら暮らす毎日です。


…こうやって書くと本当に僕が教えられるものは何もないような気がしてきました(;ω;)


でも逆にこういう経験をしてきた教員は他にはなかなかいないでしょう。
「なんとかなるよ、ケセラセラ」のような精神です。
無論、それを掲げて生徒の成長を妨げるようなことがあってはいけませんが。
昨今のニュースを見ればやれブラック企業だ、やれうつ病だ、やれ教員のブラックな職場環境だと報じられています。
子供たちは大人になるのが嫌になるでしょう。
平日のほとんどを学校で過ごす子供たちですが、教師を見る目も「そんなに大変なのか」といった見方になるでしょう。
良くも悪くもでしょうが。


別に良い学校を出て良い会社に入らなくても何とか生きられるもんです。
だから子供たちも気楽に楽しく日々を過ごしていけばいいんじゃないでしょうかね。


一日一日に集中することも大切です。
将来や過去のことを考えて憂いていても仕方がありません。
「今、ここ」を大事にするべきでしょう。

 


僕のマイナス面ばかりに目を向けてきましたが、僕なりに頑張ってきたことはあります。


大学3年生のときには軟式野球部のリーグ戦でチーム一丸となって、8チーム中4位という成績を残しました。
それまではあまり上位を目指そうとしない野球部でしたが、マネージャーはそんな自分らでも献身的に仕事してくれていて、そんな彼女らに報いてやりたいと発起したのです。
練習にも身を入れてやりました。
チームメイトらにも「勝とうぜ」と声をかけました。
トップ3には惜しくも入れなかったけど、惜しみない練習活動をこなせたと思います。


また俳優養成所時代は某青春映画のエキストラとして連日参加しました。
12月でしたが夏のシーンをロケ撮影するのに毎朝始発で出発し、日が暮れるまで撮影でした。
寒いのと眠いので辛い面もありましたが、自分のやりたいことに毎日携わっていけてる感覚がありました。
撮影が終わり年が明けてからは別の小さい事務所に移ってしまいましたが、映画を作る現場を連日間近で見られる、夢の1ピースになれるというのは良い経験となりました。

 

 

 

大学を出てこの10年ちょい、国語の専門的知識は完全に落ちています。
勉強し直しているところです。
夏目漱石の作品や福沢諭吉の『学問のすゝめ』の解説書を読んだりもしています。
教員になったら忙しくて自分の学習に充てる時間もほとんど取れなくなりますからね。
とは言え、教員になって学ぶのをやめたら終わりでしょうし。


それとニュース番組や新聞も読んでいかないとです。
マジで分からないんで、社会のことが。
子供たちを社会に送り出していく仕事になるので、その社会について理解がないのは不誠実というものでしょう。

 

 

 

話が逸れましたね(^_^;)


福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中でこう述べています。

 

「愚民の上に苛(から)き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。我日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」

 

西洋のことわざに「愚かな民の上には厳しい政府がある」とあるのですが、国民の水準が落ちるとその上の政府は厳しくならざるを得ないし、逆に水準が上がれば法律も寛容になっていくというものです。
学ぶ人が増えれば、一人一人に判断力がついてきます。
国がおかしなことをやろうとしてもきちんと抗議し、抑止力になっていきます。


結局これが教育の意義になってくるのではないでしょうか。
より良い社会を作っていくために、教師も学び続けなくてはいけないし、子供たちも学ぶ人に育てていかないといけません。

そんなことを思いながら、教育現場に戻る日を夢に見ているのです。

 

【追記】

今の日本に悪政があるのかどうか、今すぐには言及できませんが、また具体的に論じれることがあればブログでも書いていきたいと思います。

 

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 

 



逃げる生き方しか出来ない人生だった

 

逃げる生き方しか出来ない人生だった。

 

いや、まだ生きてるけどね。
でも生き苦しいなあとは思っている。
自分のことが嫌いなんだね。

 

とにかく苦しいことからは逃げてきた。

 

小学生の頃、少年野球や剣道や進研ゼミは面倒くさくて母親に「辞めたい」と申し出たこともあったけど、「自分でやると決めたのなら続けなさい」と逃してくれなかった。
いや、今思えば進研ゼミは確かに自分からやりたいと申し出たが、野球や剣道はそうでなかったような…。

 

中学生になり、「スラムダンク」の影響を大いに受けた僕はバスケ部に入る。
だがしかし入部希望者の人数も多く「これではレギュラーになるのは努力を要するぞ」と悟った僕はその試練から逃げ、本入部2日目にして野球部に転部した。
担任からの連絡事項に「部活動によって人数に偏りがありすぎるので今なら転部を認める」とあったのが決定打となったのだが。
かくして僕は自分らの代になったときには不動のレギュラーとなった。

 

高校生時代は野球に励み、良い日々を過ごしたと思う。
最後の夏だけベンチから外されたのは悔しいが、まあ仕方ないだろう。
努力が足りなかったのだ。
朝練も出てなかったし。

 

大学生になり、本分は勉強にあるのにも関わらずそれを理解していなかった。
ただバイトや野球や遊びに精を出していた。
ファッションに興味を示し、バイト代は洋服につぎ込んだ。
就職活動の時期になるも僕は一切就職活動をしなかった。
その時は「芸能界に興味がある。役者になりたい」と考えていたのだ。
僕なりに本気で、数カ所、事務所のオーディションを受けたりしたが落ちた。
わかってなかったのもあるが、本気が足りなかったのだ。
某俳優養成所に入学し、高い授業料を払って僕の役者(フリーター)生活が始まる。
「就職」から逃げた。

 

演技や殺陣等のレッスンを受けながらコールセンターでバイトの日々。
映画やドラマのエキストラにも出た。
しんどいこともあったが、それはそれで楽しかった。
だが25歳のときに彼女ができ、「結婚したい」と考え僕は「教員になる」と決める。
役者では芽が出るかわからないし、そもそも大学へは教員志望で進学してたし、ちゃんと安定した職に就いた方がいいといった判断だった。
「役者で売れるようになる」という夢から逃げたのだ。
半年後、結局彼女とも別れてしまう。

 

傷心の僕は、その時のバイト先の同僚に女の子を紹介してもらい、その子と付き合うようになる。
惰性である。
「失恋の辛さ」からの安易な逃げを選んだのだ。

 

その後は臨時的任用教員として本当の先生として赴任する。
しかし、なかなかに激務である。
毎晩9時10時まで残業し、土日も運動部の顧問。
学年も結構大変な代だったようで、僕は消耗する。
やや鬱のようになったが、母親や彼女の支えで死ぬことは免れた。
だが3月。
もう一年、同じレベルのストレスが自分を襲ったら今度こそ自害すると思い、退職する。
教員という夢からも逃げたのだ。

 

それからの僕は何もやりたいことがなく、ただただ職を一年周期くらいで転々としている。
今の職は「何とか長く続けよう」と入り、現在で1年3か月くらいだ。
2年はやりたいと思っているが…。
昨年から今年の初めにかけて、職場の人に恋をして猛プッシュした結果フラれた。
今では会話も応じてくれなくなり、僕は自分から彼女を徹底的に避ける毎日だ。
このことは職場内でも半分くらいの人が知っていて、僕を見る目は冷ややかなものである。
僕の話を聞いてくれて心配してくれる人もいるが…。
なお惰性で付き合った彼女とは6年ほど付き合ったが、このタイミングで別れた。結婚も考えていたが本気になれず、ずっと「別れること」から逃げてきた。すまないことをしたと思っている。

 

会社の話に戻る。
この程度で死のうとは思っていない。
けどぶっちゃけ「逃げたい」と思ってしまう。
会社を辞めたい。
仕事自体しんどくはないが、退屈な業務内容だ。

 

先日も書いたが、僕は今の会社を2年やったら再度教員に復職したいと考えている。(それで採用試験も受けたのだ)

 

 

tsunesen.hatenablog.jp

 

 

だがしかし、あと8か月も今の会社に毎日通わなきゃならないのかと思うと気が狂いそうになる。
今すぐ辞めて、本を読んだりブログ書くだけで毎日過ごせたらどんなに良いだろうか。
対人ストレスからの解放。
親や周囲から別のストレスが注がれてくるだろうが。

 

でもブログで数円でも収入が発生しているなら、それはれっきとした「仕事」なんじゃないだろうか。
なんてことを考え、逃げる口実の一つにしようとしている僕もいる。

 

 

昨年は「逃げるは恥だが役に立つ」が流行った。
ここで逃げたとしてもブログのネタになるし、役に立つと言えば役に立つかもしれない。
しかし現時点で彼女募集中の僕としては一応それなりに収入もあったほうがいいし、また履歴書を書かなきゃならない状況になるのも面倒くさい。
僕は今の会社から逃げないことを選択すると同時に、履歴書を書くことの面倒くささから逃げているのだ。
世間体が悪くなっても気にしないでいよう、とする覚悟からも逃げている。

 

 

独り身となり僕は元カノに連絡を取ろうとしたりして「寂しさ」から逃げたくなっている。
でもさすがにそれは都合よすぎる話。
自分のクズさにほとほと呆れる。

 

 

「逃げない」とは何なのか。

 

新しい出会いを探し、本気に好きだと思える子が見つかったらちゃんと丁寧にアプローチをする。
今の会社の自分の状況が辛くても、教員の仕事が決まるまでは継続する。
教員になったら自己の研鑽に努め、どんなにしんどくとも歯を食いしばって続ける。

 

こういうことなのだろうか。
一般社会で仕事している人も、辛かろうが歯を食いしばって日々働いているんだもんな。
もちろん過労死ライン80時間とか、そういうのは考えて教員の仕事にも務めるつもりだ。
多少の「無理」はしても「無茶」はしないつもりである。

 

そんな甘ったれた考え方がもう「逃げだ」と言われるなら、僕はやはり逃げるしかできない人間なのだろう。

 

 

 

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